新宿区で働くドクターの日記 そねログ:新宿区にて「そねクリニック」を開業しております。バイアグラ処方からAGA、ピル、緊急避妊ピル(アフターピル)、生活習慣病、メタボリックシンドローム、肥満外来などを得意とするドクターです。北海道大学医学部卒業。

新宿 そねクリニック 院長のブログです。

新宿 そねクリニックでは日常的に起こる医学的な問題に総合的な立場で診療しようと考えています。一部の方はそねクリニックの診療科を見ると戸惑ってしまうかもしれません。われわれは大学における専門的な診療を目指しているのではありません。それよりも風邪や生活習慣病、避妊(ピル・緊急避妊ピル)ED(バイアグラ・レビトラ)、心療内科・簡単な外科的処置に至るまで、日常的に頻繁に起きたりしているごくありふれた医学的な内容について総合的に診療しています。

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2008年08月29日

メンタルヘルス 産業医として

 産業医として最近の動向

 都市型産業衛生の特徴は何といってもメンタルヘルスです。

 産業医の役割は作業管理、作業環境管理、健康管理です。

 これは産業医が工場医であった時代の名残でもあります。

 しかし産業構造の転換と価値観の変化に伴い、産業医の役割が大きくシフトしてしまいました。

 特にサービス業を主体とする企業の安全衛生では70%はメンタルヘルスといっても過言ではないかもしれません。

 産業構造、価値観ばかりか、雇用形態の変化もメンタルヘルスがウエイトをしめてしまうおおきな要因です。

 つまり多くの企業がアウトソーシングを求める結果、労働者の帰属意識がほとんど生まれないという現実があります。アウトソーシングされた労働者はほとんどの場合、業務の一環としての仕事をこなせばよいだけとなり、働いている場所での個性的な存在理由はないような状況となります。

 昨日の報道では某人材派遣会社から派遣された労働者は業務の間、名前を呼ばれることもなく、某人材派遣会社の名前を呼ばれて、業務に当たったそうで、これなどは労働者を”個”としてあつかうのではなく、ロボットと同じような委託でしかないということなのでしょう。

 それは集団としての人間関係が形成されないばかりか、仕事の悩みなどの相談をする相手が全く存在しないことになります。

 つまり孤独なのです。仕事がうまくいっている時はよいのですが、若干の躓きでもあると、それを緩衝する集団が存在しないために、著しい孤独感にさいなまされます。

 この状況が現在のメンタルヘルス疾患の増大を促すおおきな原因といえます。

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2008年08月08日

つながりのある生き方

 心身医学の認定医をとっているので、心療内科も少し診ています。  その中で最近(という言い方が当たっているのかどうかわかりませんが)、20歳代のご相談の多くにつながりのない生活しているという印象を多く受けます。いわゆる孤独な生活を感じます。  これは当たり前なことなのですが、このような感じをもってしまう方々は、まず家族との距離がありすぎる。親、兄弟を含めて。次に(真の意味で)話せる友人がいない。多くの場合パートナーが自分の話を聞く状態にない。聞く耳をもつかもたないかは別として。また、一緒に住んでいる住んでいないも別として。  つまり自分をつなぎとめておく人間関係がほとんどない。  心身医学でも心療内科でも”傾聴”といいます。    人は話を聴いて(聞いてではない)もらえないと、自分をわかってもらっていないという孤独を感じます。歳を重ねて孤独に耐えられるようになってくればよいのですが、20歳代ではまだその孤独にはたえられません。つまり、つながりのない世界にいるのとおなじになってしまします。  文明としての繁栄を享受できても、心の豊かさを築きあげていくことは別なことのようです。  家族という役割もここにあるのでしょう。

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2008年08月07日

自由であるということ

 ”皇居は広くていいな。そんな広い庭がある家に住みたい”  と、こともあろうに家族からこんなはなしがでる。  本当にしつけのなっていない家だ!!、とわれながら、自分のふがいなさに落胆する。  ”じゃ、皇居にすんでみたら”といってみた。  すると  ”えっ?できるの?”  そこでこう答えた。  ”皇居に住んで、3度3度の食事も全部ついているんだけど、ただひとつ自由にならないことがある”  ”それは?”  ”それは皇居の外に出てはいけない”  ”いやだなぁ。そんなの。自由じゃないもん”  ”でもそうやって暮らしている人がいるんだよね”  ”・・・・・”  自由であることの楽しさと、それを守るために自分がするべきことがわかったのだろうか。  わからないですね。皇居に住んだことがないなら。自分も含めて。  

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2008年07月30日

良いときも悪いときも一緒でもある。

悪いときもあれば、良いときもある。

実は良いときも悪いときも同じように、一緒でもあるなぁ、と。

薬というのはよい部分(求めている効果)と悪い部分(副作用)のごちゃ混ぜになったものです。多くの人では良い部分として作用する薬の量が悪い部分として作用する薬の量よりも少ないために、普通の量をのんでも、良い作用が出るはずなのですが、個人差やその他のさまざまな状況で悪い部分として作用する量が良い部分として作用する量と同じであったり、、またはほんのわずかな量でも悪く作用してしまうことがあるのですね。

もし薬を飲まない場合のことを考えると、これも良い部分と悪い部分が一緒におこるわけです。薬を飲まないので、薬に求めるよい効果が期待できないけれど、悪い部分としての副作用が出ないわけです。

頭痛が続くので、頭痛薬を飲んだら、頭痛はよくなったけれど、胃が痛くなった。再び頭痛がしたので、今度は薬を飲まなかったところ、頭痛は良くならなかったけれど、胃の痛いこともなかった、ということでしょうか。

こういうことって、実はあらゆる行為、判断はみな同じなのですよね。

”何かをする”ということはそれによって得られる期待されることもありますが、期待されないことも同時におこります。一方でその”何か”をしないとすると、期待されることもない代わりに、期待されないことも起きない。

たとえば宝くじ。宝くじを買うと、3億円当たるのではないかと期待されますが、はずれることもありますね。買わなければ3億円も当たらないかわりに、はずれを引くこともありませんね。

人の行為というのはみなそうなのだと思います。当たり前ですね。良いことをしたと思ったら、思わぬしっぺがえしを食らったり、一方で何もしないために、良いことをしたという満足もなければ、しっぺ返しも食らうことがない。

良いことと悪いこととは一緒なのだと。

困ったことの第1は自分にとっては時に一方だけが結果として起こりうる。

困ったことの第2は良いと思っていることと悪いと思っていることが共通なはずなのですが、少しあいまいになってきていることです。

困ったことの第3はその上、時間とともにその状況が刻々とかわることもある。

いつもながらの説明不足なのですが、医療の一部をになっていることが、ある意味で、自分の行為ばかりか、社会のあらゆる所作を考えされられてしまっている状況に陥ってしまっている自分がいることに気づいた次第です。

 

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2008年07月26日

悪い時もあれば、良い時もある。

人間万事塞翁が馬。

夜が明けないことはない。

苦あれば楽あり、楽あれば苦あり。

七転び八起き。

その通りですね。

悪い時期もあれば、それを凌いでいくうちに良い時期にも遭遇する。

良い時期に慢心して小さなリスクをきちんとしておかなかったために大きな落とし穴にはまってしまうなんてこと、ありますね。

逆に小さなリスクをきちんとしておいたために、大きなリスクを回避できた、ということも、ありますね。

生きているということはこういうことが連綿と続いているのですね。

時にドラスティックなシフトによってそうしたつながりがたたれてしまうこともあるのですが、それでも何とかやっていくのですね。前を向いて。

些細なことですが、着眼大局着手小局!!

ウサギと亀の童話のごとくです。

あんまり調子が良くないときに気分が落ちてしまいがちです。

前を向いて、何とか凌いで、良い状況になるよう強かに。

Posted by sone : 09:29 | トラックバック (0)